
先日、とても腹立たしいことがあった。
近くの格安スーパーに自転車で買い物に行ったとこのことだ。
近所、といっても自転車で20分以内で行ける範囲に格安スーパーが5件ほどある。
その5件の中で卵の値段がとても安いスーパーがある。よく買う卵はミックスと呼ばれる、卵パックの中にL玉M玉が混ぜられていて10個入っている卵である。ここ1年くらいで卵の値段が相当高くなったので、以前は買い物に行ってなかったスーパーでも安いところがないかどうか探し、卵の値段が他よりかなり安いスーパーを見つけて、そこを卵専用のスーパーに指定している。現在の卵パックの値段は大体1パック税込みで250円程するが、そのスーパーでは230円弱で買える。しかも、なんと、うちから自転車で5分程度の近場のスーパーなのだ。そんなに近くにあるスーパーなら普段から使うスーパーにしておけばいいのにって、思われる方もいらっしゃるかもしれないが、そのスーパー、何故か卵だけが安いんですよ。他のものはさして安くないんですよ。なんででしょうね。
話が少々ずれてしまった。卵のことは別途、綴るとして、、、その卵の安いスーパーに買い物に行ったときのことだ。自転車置き場に1台分スペースが開いていたので自転車を入れようとしたとき、その左横に止めてあるスポーツ自転車っぽいチャリの持ち主がスーパーでの買い物を終えて戻ってきた。
今から自転車を出すのだと思い、私はその自転車が出るのを後ろで暫く待っていた。
その自転車の持ち主は、なくとものんびりとハンドルに荷物袋をかけ、のんびりとチャリの後にまわり、のんびりと鍵をはずし、右横の空いている1台分のスペースを悠々と使い、のんびりとチャリ前方にまわり、もうここまでくるとのんびりじゃないな、チンタラと鍵をバックにしまい、、、
あまりにもチンタラやってるので、かなり待たされた私は「こりゃ埒外があかん」と思い、隙をみて右側の1台分のチャリスペースに自転車を進めたのであった。スポチャリ前方にいたチンタラ持ち主は私の自転車が入ってきたことでチャリ前方でちょっと行き場を失い、いざ、スポチャリ脱出と思っていたところを遮られる形になった。
するとスポチャリチンタラ男がくってかかってきたのだ。
「お前、なんで入ってくんだ!出る方が先だろうが!出るのを待つのが当り前だろうが!そんな常識的なこともわかんねぇのか、このバカがぁっ!」
私はカチンときた。チンタラとチャリ出しに時間をかけてる奴をこんなに待っててやったのに、ちょっと自分が邪魔されたくらいで何をぬかすか!
「オレはお前が自転車を駐輪場から出すのを後でずっと待ってたんだが、お前がチンタラやってっから入ってきてんだ!お前、他の人が空くのを待ってるのとか、気がつかねぇのか?気にもしねえのか?」
我ながらちょっと汚い言葉でチンタラ男に反論した。しかし、チンタラ男いわく、「知るか、そんなこと!」
その後、チンタラ男はこちらの話に全く聞く耳をもたず、何かを大声でわめきながらスポチャリに乗って走り去ったのだった。あまりにも不愉快だったので、私は走り去るチンタラ男にこう言ってやった。「自分の事だけ考えてんじゃねえぞ!」。この声が彼に届いたかどうかはわからない。
家に帰ってからもずっとムカつきが収まらない。1日たっても2日たっても、どうにも腹がたつ。今、この文を書いている時点でその事件後5日ほど経っているが、思い出すたびに不愉快な感情が沸いてくる。いつまでもムカついているのも何なので、一度、書きものにして整理することで少しは冷静になるかと思い筆をとっている。
では、少々冷静になって今回の出来事について、整理をしてみよう。
今回の出来事の状況を整理すると、次の通りである。
①私は卵格安スーパーに自転車で行き、駐輪場が優に1台分のスペースが空いているのを確認した。
②その後、空きスペースの左にスポーツタイプの自転車を止めていた買い物が終わった客が自転車を取りにやってきた。
③その自転車の持ち主は、右側の1台分の空きスペースを使い、自転車を出す準備を始めた。
④自転車の右側から自転車の前方に回り込み、左ハンドルに買い物袋を掛け、数回バランスをとるためにかけなおした。
⑤買い物袋を書け終わった後、自転車の前方から右側を伝って自転車後方へ移動し、後ろのタイヤにかかっているチェーン式のカギを外した。
⑥外したカギを再び自転車の右側より前方に回り込み、自転車のどこかにくくりつけようとしていた。
⑦その時、後ろで待機していた私が待ちかねて右側の空きスペースに自転車を入れた。
⑧スポチャリの前方にいた持ち主が自転車を出すために後方に移動しようとしたが移動できなかった。
⑨行く手を遮られたスポチャリの持ち主が私に「お前、なんで入って来るんだ・・・・・・」と怒りをぶつけてきた。
以下、前述したとおりである。最後は、お互いにやりたいことを遮られたことに憤慨して口論になった、という状況であった。
スポチャリの持ち主は、駐輪場に先に自転車を止めているのは自分で、後から来る者は先に止めていた自分が自転車を出すのを優先的に実施する権利があると思っていたのだろう。
一方、私は、駐輪場に空いているスペースがあるので私の自転車を入れられるが、スポチャリがもうすぐ出ていくだろうから、それまで待ってあげようと考えていた。つまり自分には自転車を入れる権利があるが、スポチャリがスムースに駐輪場からチャリを出せるように待っていてあげよう、と考えていた。だが、先ほど書いたように最初は待ってあげるつもりだったがいつまでも出てこないため、これ以上待たずに私が空きスペースに自転車を入れるしかないと考え、自転車を進めたのである。
どちらも、自分側に権利があると思っての行動なのだが、どちらが正当な権利、もしくは優先的な権利があるのだろうか?
スポチャリの持ち主は駐輪場に止めた自分のチャリを一度入れたのだから出さないわけにはいかない。ただ、新たに自転車を止めに来た人に対して、自分の自転車を駐輪場から出すために駐輪スペースを使用する権利が優先的にあるのか。私が遭遇したように、後から来た買い物客は、先に駐輪場に止めていた自転車が出ていくのを何があろうと待たなければならない義務があるのだろうか。
このことを考えるために、まず、権利と義務とは何かということを考えてみた。
権利には絶対的に与えられた権利が存在する。何らかの義務を果たさなくても発生する権利は、例えば、憲法で保障されている生存権、教育を受ける権利、勤労の権利、労働基本権などの社会権と呼ばれるものなどは基本的に保障されている権利だ。また、法的に義務が課されるような場合もある。だが、このような法規的な義務以外に、社会で生活していくうえで、道義的な義務(公共空間での合理的・効率的な行動を妨げている)や制度目的に対する遵守義務(制度の目的を逸脱した行為)、他者の権利侵害(他者の「利用権」「選択の自由」「時間の自由」の妨害)などの義務が存在する。
この観点から、後から駐輪場に来た客が、先に駐輪場に止めていた自転車が出ていくのを何があろうと待たなければならない義務があるのかどうかを考えた場合、特に先に止めていた自転車の持ち主の権利を侵害したわけではないので、他者の権利を侵害しない義務は果たしている。また、駐輪場が社会が作り出した仕組みだとすると、その目的は「買い物客が買い物が終わるまで、その移動手段を保管しておく場所」ということになる。駐輪場に自転車を止めるお客さんはすべて、この目的に沿って駐輪場に自転車を止めに来る。したがって、後から自転車を駐輪場に止めに来た客にはまさに目的に合った行動をしているので、義務を守って行動しているといえる。もちろん、空きスペースがない場合には、スペースが空くのを待つ必要はあるが。
次に、スポチャリの持ち主の行動を考えてみる。
彼は一度自分の自転車を駐輪場に止めた以上、出るまでは使用する権利があると思っているようだが、駐輪場が「買い物客が買い物中に自転車を止めておくための施設」という目的を考えると、買い物が終わった後は、他の買い物客が駐輪場を速やかに使用できるように、自分の自転車を速やかに移動させる義務があると考えられる。また、スポチャリを止めている場所の隣に空きスペースがあるにもかかわらず、買い物客がそこを使えなくしており、これは他者の権利侵害に当たると思われる。駐輪場の利用券を侵害し、時間的損害や精神的負荷を与えていることになる。
この視点、考え方は、スーパー等の駐輪場以外にも、例えば、駐車場、待合室、病院の診察順、図書館の席などにも、同様に適用される。
コンビニの駐車場には、「無断駐車禁止! コンビニ利用目的以外の方の駐車は固くお断りします。店舗利用の場合でも●分を過ぎた場合は“無断駐車”とみなし、損害賠償請求を検討します。」などの文言が張り紙してあるところがあるが、これはまさに、これからコンビニで買い物をする客に対して優先的に権利を与えているものであり、また、コンビニの利益を侵害する行為をやめさせるためのものである。
というわけで、冷静に、理論的に考察した結果、卵のみ格安スーパーで起こったもめごとは、スポチャリ持ち主の義務違反により起こったと考えられ、責任は全面的にスポチャリ側にあるという結論に至った。
ここ数年、同様の事象がテレビで騒がれている。選挙に立候補しておきながら、当選する気は全くなく、他候補を応援したり、当選するのが目的でなく立候補して、候補者演説のテレビ放送で選挙とは全く違う言動をしたり、支持者がどれくらいいるかを確認するために立候補したり・・・
これらはまさに制度目的遵守義務違反だろう。このような行動をとるものが、堂々と、その行動を”権利”と主張する。スポチャリの持ち主と同類で、自分の権利の主張しかしない人達だ。このような人がどんどんと増えている日本の将来は決して明るいものではないだろう。
このような人たちには、権利を主張する前に権利を行使するには義務を果たさなければならないことをきちんと学習してもらいたいものだと、切に願うばかりである。