2021年07月一覧

人が怒るとき。

私は電車で通勤している。会社は神奈川県の海老名市にある。自宅は東急田園都市線沿いにあり、一時間強かかる。東急線下りの終点の中央林間まで行き、小田急江の島線に乗り換える。これで相模大野まで行き、小田急本線に乗り換え海老名まで行く。通勤で電車を2回乗り換えるのだが、これが結構大変なのだ。相模大野ではホームの移動だけですむが、中央林間では一旦改札を出てから連絡通路を通っての移動となる。ここでは、東急線からの人と小田急線からの人が通路の真ん中でぶっかりあったりする。先日、通路のちょうどまん中当たりを小田急線側に向って歩いていると,向うから勢いよく歩いてきた若物が勢いよくぶっかってきた。私は肩を押されて後に仰けぞってしまった。男はそのまま一言も発せず足早に去っていった。私はとても腹が立った。

今回は「怒り」がテーマだ。人間は怒る。いや、”人間は”ではないな、”動物は”かな。いや、待てよ。ヘビとかトカゲとかは怒るのか?昆虫は怒る?うーん、わからないなぁ。敵に襲われた時や獲物を襲う時などには怒った様に振る舞うけど、あれは怒りなのだろうか。

さて、人間が怒るのはどういう時なのだろうか。人は何に対して怒るのだろうか。何が理由で怒るのだろうか。

駅の乗り換え通路でぶっかってきた奴に対してオレは何を怒ったのか。ぶっかった痛み?いや、大して痛くはなかった。自分の行動を遮った奴の行動か?奴の自分勝手な振る舞いに対してか?ぶつかっても謝りもしない無礼に対してか?

車を運転するとちょっとしたことでも怒る人がいる。車で最も多いケースは「割りこみ」だろう。隣の車線から距離をおかずに自分の車の鼻先に進入してくるヤツに腹を立てるパターンだ。この場合、実際には自分が損をすることはほとんどない。割込まれたからといって自分の車が目的地に到着するのが何十分、何時間と遅れる訳がない。実質、自分には何の損も発生しない。なのに、割り込まれると腹がたつ。

かく言う私も若い頃はこのタイプの運転手だった。ちょっとでも割り込まれると、「なんだよこいつは!スペースもないのに強引に入りこんできて、頭に来るなぁ!」

若い頃の私が運転中に割り込まれて怒ったのは何故だろう。ルールを守らない者に対しての怒りだろうか。私の車の前のスペースは私のものなのに、そのものを奪われたからだろうか、言い換えると、私の権利を強引に奪われたからだろうか。それとも、俺が先にこのレーンを走っていたのに、横からから入り込んで来て既得権を侵害されたことへの怒りだろうか。はたまた、危険を感じて、危害を加えてくるものへの怒りだろうか。

ところが、ある出来事により私の割り込みへの怒りは全くと言っていいほどなくなってしまったのである。しかも、信じられないほど簡単に、である。それは仕事で台湾に出張に行った時のことだった。タクシーで移動することになり、ー台のタクシーに乗車した。まもなくタクシーは高速道路へ。すると、右から左から、タクシーの前方の隙間に車がガンガン割り込んでくるのだ。身の危険を感じるほどガンガンと。ご存知の通り、台湾、中国の車の運転はスリルに満ちている。今ではそんなことはないが、上海のタクシーなんかは10年程前まではドアが潰れてない車を見つける方が難しいくらいだった。タクシー待ちをしている時に考える事はいつも「どうか綺麗なボディのタクシーに当たりますように」だった。

ガンガンと割り込まれる台湾タクシーの運転手さんもさぞや怒ってるだろう、と思いきや、平然とした顔付きで運転しているではないか。なんでだろう。疑問に思って運転手に聞いてみた。「どうしてみんなガンガンと割り込んでくるんだ。よく平気でいられるなぁ。交通ルールはどうなっているんだ。」すると運転手から思いもよらぬ答えが返ってきたのだ。「いいんだよ、急いでいる奴が優先さ。急いでいるんだから割り込んで先へ先へと行くのは当たり前だろうよ。」

この言葉で私の考えは変わった。「あ!当たり前、だよな、それって。こっちはそんなに急いでもいないのに、割り込まれるとなんでいつもあんなに怒っていたのだろうか。」その時以来、余程危険な割り込み方をされない限り、割り込まれて怒ることは無くなったのだった。

いろいろな場所で、いろいろな場面で怒っている人を見かける。パチンコ台に怒りをぶつける人。乗り物が遅れて駅員に怒りをぶつける人。酔っぱらって怒る人。 ランボー怒りのアフガン(ちと古すぎ?)、などなど。人は様々なことに対して怒る。理由も様々 だろう。しかし、ちょっと考え方を変えれば、これまで、なんでこの事で怒っていたんだろう、と思えることもある。何かに怒ってストレスを感じるよりも、考え方を変えて、怒らない生き方のほうが楽しいのでは、とこの頃よく思うのである。

と言いつつ、今日もきかん坊の子供たちを怒ってしまうのす。。。まだまだ修行が足りんなぁ。


人体の不思議

何年位前だったか、造影剤を使ったCT検査を受けたことがある。

検査の三週間ほど前、仕事中に突然、左肩に激痛が走った。マッサージをするときに肩もみのツボがあるが、まさにその部位に、である。痛みは1、2分続き、そして収まった。

私の父は心筋梗塞で一度倒れている。私はそのとき父と一緒に居たので良く覚えている。その日は仕事を早目にあがり、仕事場からそう遠くないアパートで一人暮らしをしている父とタ飯を食べにいった。父はお好み焼きが好物だったので、父の家の近所の、馴染みのお店に行ったのである。

食事を済ませて店の外に出るといきなり父が「肩が痛い!」といってしゃがみ込んだ。私は何が起こったかわからないまま、最初はさほど重大なことだとは思わず「大丈夫?」と軽い気持ちで声を掛けていた。しかし、父はしゃがみ込んだまま、顔をしわくちゃにして痛がっている。何度か声をかけたが返事はなく、とにかく顔をしかめている。とりあえずこのまま少し休んでいればおさまるだろうと思っていたが、そのうち意識がなくなってきて、眠ったような状態になった。「これはまずい!只事ではない!」。やっとここで緊急事態であることに気付いた私はお好み焼き屋に舞い戻り、救急車を要請。10分程で救助隊員が駆けつけて病院へ連れていってくれた。検査結果、心筋梗塞とわかり、すぐさまカテーテル手術を施こしていただいて事なきを得た。

この時のことが頭に強く残っていたので、父の様に倒れこそしなかったが、私のこの肩の痛みはもしかしたらとても危ない状態なのではないかと、とても不安になった。ー時も早く病院で診てもらわなければ。その週末の土曜日に不安を抱えつつ、家近くの総合病院に行って診察してもらった。結果、緊急性はないが、循環器系に疾患が無いかどうかを検査した方が良いということになり、ニ週間後に造影剤を使ってCT検査をすることになったのだ。

前置きが少々長くなったが、人体の不思議というのは、造影剤の注射を打った時の事である。

検査前の説明で、「造影剤を打ったら、体が熱くなったりすることがあります。」と聞いていた。「ふーん、そうなんだ。」大して気にもせずに検査に臨んだ。CTの検査台に縛りつけられ、なんとか呼吸を整え、と書くとちょっと大げさに聞こえるかも知れないが、私は極度の閉所恐怖症で、体を固定されて狭い所に入れられるとかなり怖い。CTやMRIの検査はたまに受けるが、いつも気持ちを落ち着けるのに時間がかかってしまう。「大丈夫、ほんの10分程度のことだ、その間は眠っている事にすれば何ともないさ。」などと自分に言いきかせて恐怖心をやわらげる作業が必要だ。

どうにか落ち着いて、「では、よろしく」状態になったことを伝えた。「それでは、造影剤を注射しますね。」と言われ、注射をしていただいた瞬間にそれは起こったのだ。

一瞬で頭の中がかっと熱くなったのだ。「え! うそっ!」。あまりにも頭の中での反応が早かったので驚いてしまった。ほんの1秒かかったかかからなかったか、くらいの時間ですよ。ビックリだ。

ちょっと待て、ちょっと待ってくれ!今のは何なのだ!腕から頭まであっと言う間なの?そんなに血は速く流れているのかい?頭が熱くなったのと同時に頭が混乱した。「血って、腕とかで脈を計ったら”トクン、トクン” くらいしか動かんやろう、なんで一瞬で頭まで来るとね?」混乱して頭の中が九州弁になっていた。

血はどのくらいの速さで流れているのだろうか。少なくとも、”トクン、トクン” なんて腕の表面で大したことないイメージとは大きく違うに違いない。インターネットで検索すると、血液の流れる速さに関する情報がいくつか出てきた。「心臓から出た血液がまた心臓に戻ってくるのに25~30秒かかる」 「血液が流れる速さは時速200Km」 「大動脈の血は30m/分」など。調べて見ると、血液は思ったより相当速く流れているみたいだ。しかしこの三つは随分とレベルが違う様に思うのだが。何か算定の条件が異なるのだろうか。

今回のCT造影剤の件に一番良く当てはまるのは三番目の大動脈の情報だろう。1分で30mの速さは1秒で50cm。腕から入った造影剤がどのようなルートで頭に回ってくるのかはわからないが、この情報がピッタリくる。

ほんのこぶし大の心臓が毎秒50cmの速さで血液を送り出しているなんて、どれだけ大変な事だろう。しかも、休みなく、生きている間1秒も欠かさず、である。人の心臓は毎日毎日、このような凄い機能を働かせて人の命を守っているんだな、生きているっていうのはこのような人体の凄い仕組みで成り立っているんだな。と今回の件を通じて気付かせてもらいました。

ところで、こんな不思議な人体の仕組みを誰が作ったんだろうね。


思った通りにいかない時、あなたはどうしますか。

私は賭け事が好きなオジさんである。良くFXをやる。こんな風に書くと、FXはギャンブルなんかじゃないぞ!と、為替取引のことをちゃんと勉強されて投資をしていらっしゃる皆さんに怒られてしまう。私のやり方が悪いのですが、為替はどちらに動くか予想するのはとても難しいので、一か八かどちらかに賭けて、利益が出たらとことん追求し、損は被害が小さいうちに清算する、そんなギャンブル風なやり方をしている。為替のことを勉強しないでやるからそうなるのだろう 。

今日はギャンブルについて書こうと思っている訳ではない。表題の通り、思い通りにならないときにどうする?って話をしたいと思う。

先に書いたFXだが、良くこんなことがある。ある通貨を買うとする。例えば、$/円で、完全に円高の流れになっているのでドルを売る。きっと益々円高になるだろう、そう思ってドルを売るのだが、売った瞬間に円安になる。どう見ても今までは円高の流れなのに、売った瞬間に変化するのだ。円安に流れが変わったのか、と考えて多少の損失を覚悟で売ったドルを清算し、今度はドルを買う。するとどうだろう、買った瞬間から円高に戻るのだ。少し待っていても、円安の流れに戻らない。徐々に損失が増えていく。全く利益方向に進まない。買った価格までは戻ったりするが、利益にはならない。暫く我慢するが堪え切れなくなり、売る。なんだよ、初めに思ったとおり円高じゃないか。気を取り直して、買ったドルを清算し、ここでまたドルを売る。すると、、、売った瞬間に円安に。まただ!なんでだ!こんなことがあって良いのか!

全く利益がでない。瞬間的にでも、1円たりとも出ない。見事に変換点で損する方向に売買している。特に売買のルールを決めているわけではない。ヤバイ、我慢の限界だ!と思って操作するタイミングで起こるのだ。もしかしたら、、、FX会社が私専用の為替チャートを作って、私が売買したら本物の為替の動きとは違う為替レートを作り、私に利益が出ない様に操作しているのではないか?など、冷静に考えるとあり得ないバカバカしい妄想を抱きながらこんなことを繰り返し、損失が積み重なってゆく。

私の稚拙なFXのー例を挙げたが、このように、どうしても上手くいかない時が他にもあると思う。そんな時、皆さんはどうしていますか?

上手く行かないその事自体を続けるか、止めてしまうか。

続ける場台、今までと同じ様に続けるか、今までとは違う方法でやってみるか、どちらが良いのだろうか。同じ方法だと同じ結果になるのは容易に推察できる。しかし、これまで上手く行かなかったのはやり方ではなく条件の問題だったとしたら、再トライ時には条件が変わっていて上手く行くかもしれない。一方、違う方法で続けた場合、こちらも条件の問題であれば再び良くない結果となるかもしれない。いづれにしても、やり方、条件を良く考えて見直す必要があるだろう。これまでもこれらの事を考えながら進めて来ていたのならば、再トライしてもすぐに良い結果が出るかどうかわからず、良くない方が出た場合はさらにストレスが増すだろう。上手く行った場合は、まずは喜ぶが、何故今回は良い結果が出たかを悩むことになる。次にまたやってみて良い結果が出るかどうかわからず、もやもやだけが残る様に思う。

とりあえず止めてしまう場合、再トライするのか、それともずっと止めてしまうのか。

再トライの場合、それまでに何をやるかが大切だろう。ある程度時間をかけて、今までとは違うやり方、違う条件を考え直す必要があるだろう。そして、今度こそは、と思えるものを掴んだ時には再トライする。結果はどちらになるかわからないが、新たな考えを入れた結果なので、これまでとは違う感触が得られる可能性はあるだろう。良くない結果かもしれないが、ストレスの感じ方はこれまでとは違うかもしれない。

キッパリ止めてしまう場合、次に何をやるか、だ。他の上手くいく何かを探してトライすることになるだろうが、新しいことも同様に上手く行くかなかった、その次に探した新しい取り組みも上手くいかない、なんてことになると、ストレスは高まって行くばかりかもしれない。

続ける、止めるの二つの方向からいろいろと考えて見たが、他にも考え方は様々にあるかもしれない。「そもそも、うまくいかないもんなのだ。そんなもんだよ。」とストレスを捨てさり、「たまにやって見て上手くいけばラッキー」と言いながら続けるといった考え方もあるだろう。また、「そもそも、うまくいかないもんだったんだよ。」と割り切って、次々と新しいことにチャレンジし続けるのも良いかもしれない。

あなたはどのように考えますか。